最近の姜維は、とにかく部屋に篭りっぱなしであった。軍師でもあるし、諸葛亮殿の後継者でもあるらしいから、元々それらの執務の関係で部屋に篭ることは多かったけど、それ以上に篭るようになったのだ。
理由はわかっていた。この間、中庭で見つけた小さな鳥。何の鳥だかはわからなかったけど、その鳥はどこかを怪我しているようで、羽をばたつかせるだけで飛ぶことは無かった。その様子を見た姜維は、かわいそうだから、という理由でその鳥を自室へ持ち帰り、再び飛べるようになるまで看ている、と言って、それきり丞相府や執務室への行き来、厠などの必要最低限の用事以外では、部屋を出ようとしなかった。
執務の合間を縫って、こまめに水や食べ物の与え、怪我の様子も窺っているものだから、外に出る暇が無いようだった。もう、しばらく姜維と顔をあわせていない。さすがに、イライラとしてきた。


「なあ、姜維」
水を張った桶に指先を入れ、そこについた水滴を鳥のくちばしへ垂らしながら、姜維は俺の言葉に「はいー?」と実に適当な返事を返す。せっかく、姜維の部屋に尋ねて、久し振りに会ったというのに、姜維の意識はずっと鳥に向いたまま。
「たかが鳥一匹、どうだっていいだろ」
「そんな、たかが鳥一匹だなんて、言わないで下さいよ」
"たかが鳥一匹"、その言葉に姜維は少しかちんと来たようで、声色を変えた。でも俺からしてみれば、本当に"たかが鳥一匹"。そもそも、今までに人を何百人と殺してきた奴が、そんな鳥一匹の命で部屋に篭りっぱなしだなんて、おかしい。と、俺は思う。それを口にすると、姜維はそっと鳥をやわらかい布の上に置いて、くるっと俺の方を向いた。

「なんですか、それ」
「なんですかって、事実だろ」
「私だって好きで人を殺しているわけじゃ」
「それっていつものセリフだよな、どうせそんなの言い訳だろ。
殺さなきゃ生きていけないから人を殺してるんだろ、どうせ自分が大切なんだろ」
「それは馬超殿だって同じではないですか」
「そうだけど俺はそんな言い訳がましいことを言った事ないね」

ふんっ、と鼻で笑うと、悔しいのか、きっと睨みつけて来た。言い返す言葉が無いんだろ?ざまあみろ!

「もしかして嫉妬してるのですか?」

しばらくして出てきたその言葉に、かちん、と来た。ものすごく、人を馬鹿にしたような声でそう言うもんだから、俺は思わず立ち上がり、眼を飛ばした。

「あほか、俺が嫉妬なんてするかよ」
「そんなこと無いです!私がこの鳥ばかりに構うから嫉妬してるんでしょう」
「だーかーらー、おまえはあほか!嫉妬なんてそんなばからしいことしないね」
「強がっちゃって、あなたの心なんて丸解りですよ?」

嫉妬、嫉妬って、俺は嫉妬をしているつもりは全くないのに、嘘ばっかり!いい加減に頭にきて、その時偶然目に入った、やわらかい布の上に置かれた鳥を、さっと手の中に収めた。

「こんな、鳥一匹」

やってはいけないことだと頭ではわかっていたものの、身体は言う事を聞かず、ぎゅ、と鳥を握る手の力を強くした。その途端、姜維の顔からは血が引き、一気に青くなった。

「なにするんですか!!やめて下さい離してください!!!」

言うが早いか、姜維は目に涙を溜めながらどついて来た。ハッとして、慌てて手の力を緩めると、その隙をついて俺の手の中から素早く鳥を抜き取った。心配そうに鳥をなでる姜維を見て、俺はばつが悪くなり、ちい、と舌打ちをして、どかどかと外へ出た。

(なんだよ!あんな鳥、死んだってどうってことないだろうが!なんであんなに、あんなに悲しそうな目、するんだよ…くそ!!ばか!!あほ!!)

そう心の中で吐き出しながらも、俺が悪いということはわかっていた。姜維が生き物を大切にしているということはよくわかっている。けど、そればっかり大切にする姜維に頭がきて、つい。

嫉妬、というものをしているつもりは無かった。けど、そうぶつぶつ考えながら、寝台に顔を埋めたとき、もしかして嫉妬をしていたのかもしれない、と思った。

嫉妬?俺が、嫉妬?姜維があの鳥ばっかり可愛がって、俺をかまってくれないから?ええ、本当に、嘘、まじめに?え、なんだろう、俺はものすごく、みにくい嫉妬をしていたような気がする。

どうすれば、いいんだろうか。取り返しのつかないことをしたような気がする。もし、あの圧迫で、鳥が死んでしまっていたら?今頃、ちゃんと息をしているのか?とにかく怖いと思った。もし死んでいたらどうするんだろう。だけど、そう思うだけで、確かめに行く事は出来なかった。情けないけど、度胸が無い。





けっきょく、もんもんと考えたまま、まだ昼間にもかかわらず俺は寝てしまっていたようだった。垂らしたよだれの冷たさで目を覚ました頃には、既に日が暮れかけていた。今、姜維とあの鳥はどうしているだろうか。
それだけが頭を支配していて、それ以外のことが考えられなかった。夕飯はなんだろうとか、さぼってしまった鍛錬はどういい訳しようとかも、すべて。

「馬超殿」

突然のことに、俺は肩をビクッとさせた。この声は、姜維。でも、その声色は限りなく落ち着いていて、いつものやさしい姜維の声だった。もう怒ってはいないのか。という事は、鳥も無事だったのか?うん、そうなのかもしれない。
俺はそう勝手に思い込み、ふう、と安堵のため息をついた。その時にもう一度、同じように名前を呼ばれたので、急いで部屋の戸を開けた。

「あ…あの、さっきはすみませんでした」
顔をあわせての第一声は謝罪の言葉だった。本当はこっちが謝らなければいけないんだ、そう思い出し、俺は「いっ、いや!」と少しあわてて言って、こっちこそごめん、とつけ加えた。すると姜維は微笑したものだから、俺も笑った。
「えっと…と、鳥は?元気してる?」
なんだか変な言い方ではあったけど、普通に話せる状態ではなかった。自分で殺しかけたのだから、その話題を切り出すのはどことなく気まずい。でも、当然、元気です、か、大丈夫でした、と返事が返ってくるものだと思っていた俺は、次の言葉に愕然とした。

「死んでしまったので、お墓をつくりました」

そう言った姜維の顔は、とくに怒ったようでもなく、悲しんでいる様子でもなく、落ちついていた。むしろ、俺の方がずっと驚いた顔をしていたと思う。もう、言葉が出なかった。しばらくしてから震える声で、え、嘘?と聞くも、ほんとう、と笑って言われた。

「え…あ、俺のせい?…だよな?」
「拝んでくれませんか、お墓まで来てください」

質問の答えは返ってくることなく、俺はそう言われ、引っ張られるがままに歩いて行った。お墓は、とてもすぐ近くで、あっというまに着いた。そこは、鳥を見つけた中庭。

「拝んでくれたら、あの鳥も喜んでくれますよ、きっと」

その鳥を殺した俺が拝んで、喜ぶはずない。そう言い返すことも出来ず、とりあえずその墓らしい、土の盛り上がった箇所の前にしゃがんで、手をあわせ目を瞑った。

「言っておきますけど、鳥は馬超殿が握ったせいで死んだわけではありませんからね」

え?うそ。その言葉が喉に詰まったまま、出ない。

「私が見つけた日から、毎日すこしずつ、弱っていたんです。もう、看ていた次の日から、飛べることは無いだろうなと思っていました。でも、最期は看取ってあげたくて、ずっと世話をしていたんです。もう、すごく弱ってしまったので、今日あたり…覚悟していたんですよ。だから馬超殿が殺したわけじゃないので、そこらへん宜しくお願いします」

恐る恐る、目を開いて姜維の顔を見る。泣いているのかもしれないと思ったけど、泣いていなくて、微笑んでいた。なんか、ちょっと俺が泣きそうになってきて、あわてて、もう一度目を閉じて手を合わせることにした。

「なあ…。ごめんな本当に。俺、嫉妬してたって、さっき気付いた」
「こっちこそごめんなさい。ずっと、鳥ばかりに構っていて…」
「最期、お前にたくさん愛してもらったこの鳥は、幸せだっただろうな」
「だと、いいんですけどね」

盗み見た姜維の顔は、いつものように、とびきりの笑顔を見せていた。最期、鳥が息を引き取る時、姜維がどんな表情をしていたのかはわからないけど、きっとこんな笑顔をしていたと思う。その笑顔を見て死ねた鳥は、絶対に幸せだったに違いない。

「あ、そうそう」
「なに?」
「あの鳥って羽根の色が茶色かったでしょう?」
「うん、まあよくある羽根の色だったな」
「埋める時、気付いたのですが、おなかに一枚だけ、青い色した羽根があったんです」
「ええ、青?そんな羽根あるの?」
「そうなんですよ。すんごくきれいでした。寒色系の、青色」
「じゃあ、しあわせの青い鳥、のなりかけだったのかもな!」


「もしかしたら、しあわせになれるかもしれませんねえ、わたしたち」
「たぶん、ずっと二人して、しあわせだ!ずっとずっと一緒で、しあわせ!」




根拠はある。
だって、姜維が看取ったその鳥は、しあわせの青い鳥、のなりかけだったから。









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この小説はリクエストをして頂いたシアン様のみ、お持ち帰り下さい。ありがとう御座いました!