※少々過激でひわいな表現がありますので、閲覧は自己責任でお願いします※







 槍を手にした姜維は、非常に暴虐だ。
 ためらいもなく槍の穂先を刺しつけ血しぶきを浴び、虫の息となった相手をてきとうに辺りへ薙ぎ払う。余裕があるときには、その一連の動作を終えたあと、満足そうにいとわしい笑みを浮かべていることもある。
 もっとも、戦地でひとを殺めることは自分が生き残るために必要ことなのだが、すでに事切れている相手の顔面を槍の柄で打ち据えている様を見たとき、馬超でさえ戦慄が走った。


 馬超のいる幕屋に訪れた姜維は、見た目こそたいした血はくっつけてはいなかったが、なまぐさい血のにおいをたずさえていた。
 あえて嗅ぎたいと思うにおいではないが、馬超はそのにおいを嫌ってはいない。
 初めておのが手で人を殺めたとき、その相手が吐いた血を顔面に受けとめた。吐き気をもよおすほど嫌なにおい、生暖かい温度、ねっとりとした感触に馬超は震えたが、いつしか血に対して鼻も皮膚もなにもかもが慣れてしまっていた。
「血ィ、跳ねてる」
 姜維はまるで幼子が食べかすを口のまわりにくっつけているかのように、頬に血がこびりついたまま笑んでいた。
 そのことを馬超の指摘でようやく気付いたようで、あわてて手を頬にあてる。馬超はその様子に笑って、机の上から布をひっつかむと血をぬぐってやった。
「ありがとうございます」
 姜維は律儀に礼をして、笑みをさらに深くした。
 その笑みはとてもすがすがしく、愛嬌がある。おなじ顔であのいとわしい笑みを浮かべるとは信じ難い。二面性があるようだった。
「何かようがあって来たのか?」
 ――――それとも、甘えに来たの?
 冗談めかしてそうつけ加えると、姜維はうなずいた。榛色の瞳がほうけていた。つかれて眠たい、といったところだろうか。
 どうやら姜維は、わざわざ馬超の幕屋へ眠りに来たらしい。それを察して、馬超は物の散らばった寝所をぱぱっと片付けて、姜維を招いた。招かれた姜維はすぐにごろりと横になって、さらに欲求を満たすために馬超をもとめた。
「わかった、もうすこししたら行くから」
 できればいま用事を片付けたかった馬超はてきとうにあしらったが、姜維ははやくはやくとあまえた声を出す。
 この声によわかった。すぐにこの可愛い子の願いを叶えてやらねば、と思ってしまうのだ。馬超はこりゃまいったと苦笑しながら、いまにも眠りにおちてしまいそうな姜維の横に腰をおろした。
 しろい手を顔の前に置いて寝る姜維は、まるで二十歳を目前にした男児とは思えないほどの可愛い面をしている。馬超はその手を取ると、まじまじと見てみた。
 かぎりなく白色のせいか、傷痕が目立つ。その中にひときわ小さな傷を見つけたのだが、それはかさぶたになって間もないようだった。寝所に敷かれている布でこすってしまったのだろうか。かさぶたのふちから、鮮血がにじみ出ている。
「ここ、ちゃんと消毒した?」
 返事を待つあいだ、暇を潰すかのようにかたぶたのまわりをいじる。
「ちいさな傷です。消毒せずとも大丈夫です」
 応えながら、姜維はその行為をくすぐったがり、馬超の手の中でいじられている自分の手をするりと抜いた。
「ちいさい傷でも、膿めば腐る」
 馬超の声がかすかに低くなる。傷の処置をおろそかにした姜維に対し、すこしだけおどして注意する。
 どれほどちいさな傷でも、菌が入れば膿み、そして腐る、もっとものことだ。いつだったか、姜維は指にちいさな切り傷を作り、それを処置しないままよごれた水に指をひたし、膿ませたことがあった。熱を帯び、ぐじゅぐじゅになって、とても不快だったことを覚えている。
「ほら、ばい菌が入る」
 ときに、馬超はかるく鬼畜なひとになる。いじわるをするのがすきなのだ。けれど、姜維はいじわるをされるのはきらいだった。
 手首をつかまれたと思ったとたん、ぐんと引っぱられる。顔の距離があっという間に縮み、歪んだ笑みを浮かべた馬超がよく見えるようになった。姜維はぞっとして、身をよじって、よじって。でも逃げられない。
「消毒をしなかったおしおきだ」
 いまにも消えてしまいそうな蝋燭の火がゆいいつの明りの、薄暗い幕屋の中、馬超の硝子のようにきれいでつめたい瞳が光った。
 

 いままでにたくさんの方法で愛を確かめ合ったけれど、このような確かめかたはしたことがない。
 もっともこれは"おしおき"とのことだったが。
 後ろ手に手首を縛られたあと、姜維は寝所の上から降りることを許されなくなった。やられるがまま、まとっていた着物を肩から脱がされ、上半身の肌があらわになる。
「傷ばっかりだな」
 馬超は手にしている蝋燭で姜維の肌を照らす。大きさがまばらな傷痕がいくつもあり、それはどれも痛々しく、しかし功績でもあった。
 ゆっくりと蝋燭を机の上に置き、腹部のあまり傷の見当たらないところで、馬超は爪をたてた。
「やめてください、やだ、やだ」
 とがった爪はやわらかい皮膚をゆっくり押していく。わずかな痛みが走り姜維はかぶりを振るも、馬超は手の動きを止めようとしないどころか、なにも言わない。姜維の顔も見ない。
 じゅうぶんに爪を皮膚にしずませたあと、馬超はよりいっそうのぶきみな笑みを作ると、下へ引いた。
「血、が……」
 す、と血の筋が浮き出る。
 なみだ目の姜維をなだめるかのように、馬超は自身の手で作ったその筋を器用に舌でなめとった。
 ―――ん、ひゃ……っ!
 くすぐったく、姜維はのどを震わせた。出かけた叫びを堪えるのにひっしだ。
「ずいぶんと怖がるな。それほど痛くないだろ?」
 馬超はおもしろがって、いやな笑い声を出す。身が疼くような、そんな笑いかた。やがて笑い声が遠のいたかと思うと、馬超は棚の中からなにかを取り出し、寝所にひざを乗せた。
「……ごめん、沁みるから」
 悪びれた様子はこれっぽっちもない言いかただ。
 それからすぐ、姜維の腹部につめたい液体が垂らされた。
「―――っ!」
 つめたい、と思ったつぎの瞬間には、さきほど馬超の爪によって作られた傷に液体が染み入り、そこは熱を持った。じわじわと熱が広がり、脈打つような痛みが始まる。
「もうちょっとだけ、がまんだ」
 荒く上下している胸に、くちびるを押しつけた。
「だから泣くな」
 いつのまにか自分でも気がつかないうち、すすり泣いていた姜維の耳に、やさしい声がとどく。
 背をむけて。先ほどと変わらぬやさしい声でうながされ、姜維はすなおに背をむけた。手首を縛り付けている布はそのままに、手をいじられていたかと思うと、また同じように液体を垂らされた。
 かぎりなくつめたく、やがて熱が生まれる。
 

 煙たいにおいが幕屋にたちこめていた。
 馬超がきんちゃくに入れて、いつも大切そうに持ち歩いている葉巻のにおい。姜維はそのにおいを感じながら、傷痕だらけの上半身をだらしなく露出し、寝所でぐったりと横になっていた。
「おつかれ。……いじめすぎたかな」
 くわえていた葉巻を、姜維のうっすらと開いたくちびるへ差し込む。
「……ん、っ!」
 げほげほと吸いなれないものにむせ、くちびるから葉巻が落ちかける。馬超はそれを取りあげると、もういちど自分のくちびるへもどした。
 つややかな毛を撫でると、ふわり、と血のにおいがしたような気がした。
 血のにおいが姜維のからだに染み付いているのか、馬超の鼻に染み付いているのか。定かではないが、いまはそれをよいにおいだと思えた。
「笑っちゃうよ」
 主語のない言葉に、姜維が首をうごかす。
「槍を持てば怖いものなしって感じなのに。おれにすこしいたずらされるだけで泣くんだ。笑っちゃうな」
 いたずらをされると同時に、手当てを施された手の傷。垂らされた液体―――消毒液のせいで、いまだ熱を感じる。
「戦場ではそうあらねば。でなければ自分の身が危うくなります」
 のそり、のそりと起き上がる。時刻はすでに夜中だ。昼間のさわがしさがうそのように消え去り、風ひとつ吹いていない夜、静まりかえっていた。そのせいか、ふたりが起こすひとつひとつの行動は、やたらと音がたつように思える。
 姜維が口を開けるだけで、微かだが水音が聞こえる、それくらいの静けさ。
「おれと一緒にいても、いまみたいに身が危うくなるかもしれない」
 またいやな笑い。馬超がひとにいじわるをしているときは、だいたいその笑いかたをする。
 それがいやで、姜維はふいと顔を逸らした。
「馬超殿は正義に反することはしないのでしょう」
 どこかなげやりな言いかた。
 いつまでもはだけた着物をたださないで、そのまま寝ころがっていたせいか、馬超がそのか細い線のからだに触れると、自分の体温がうばわれてしまいそうなほどのつめたさにおどろいた。
「おれとしては、さっきしたことは正義に反することだと思ってるけど?」
 ぴたり、とつめたいからだにあたたかいからだが重なる。
 いままで散々のいじわるをしていたくせに、いきなりやさしくなる馬超のことをずるいと思い、姜維はあえてなんの反応もしてみせなかった。
「だから、これからもっとひどいことをおまえにするかも……よ」
 ふっと笑うと、姜維の髪の毛がながれた。あらわれたしろい首筋に、くちづけをする。
 馬超は惚れているのだ。槍を持てば狂気的になるおぞましい相手を。しかしひとたび槍を離せば、まるであまえたがりの犬のような性格にもどる、かわいい相手を。だからこそいじめたくなる。近寄って、束縛して、たくさんいじめて、たくさんやさしくして。
 そして、知っている。
「……わたしは、いまされたことを正義に反することと思ってません」
 次に出てきた予想通りの言葉に、馬超は不敵な笑みを浮かべる。
 ――――痛くて怖くていやだったけど、それなりにここちよかったので。
 姜維がそうされることをここちよく思っていることを、知っている。
 馬超はもういちど首筋にくちづけを落として、つぎに互いのくちびるを重ねた。


2006/12/20