頭の痛みで目が覚めたと思えば、天井がぐるぐると回っている。これはいわゆる、二日酔いだ。
 水をもとめて寝所を降りるが、地に足をつけた感覚がいまいちわからない。思考回路もあやふやになっていて、足がもつれる。
 睡眠前のことを思い出してみると、自分はほんとうに酒をたくさん飲んだのだなあ、と改めて実感した。
 今日は一月二日。昨日は新年を祝う酒宴に強制的に参加させられた。無礼講で、酒が飲めないと断わっても無理やり飲まされるような酒宴だ。姜維は酒はあまり得意ではないが、進められるがままに酒を飲み下した。
 幸いなことに、新年を迎えたばかりということで休暇が与えられており、二日酔いになれども寝ていることができるのだが、できれば体調のよいままにゆっくりと過ごしたかった。
 はあ、とため息をひとつこぼし、姜維は水を汲みに寝間着のまま回廊へ出た。
「うわ!」
 瞬間、どすんとしりもちをつく。誰かとぶつかってしまった。ごめんなさいと平謝りをしつつ、顔をあげる。
「あ、馬超殿」
 ぶつかった相手も同じようにしりもちをついていたかと思えば、馬超があいてててと腰をおさえていた。
「ごめんなさい。腰、打っちゃいましたか?」 
 訊きながら姜維は立ち上がる。馬超もつられるように立ち上がった。それほど腰のいたみはないらしい。
「あ、こっちこそごめん。腰は打ってないんだけど、」
 話によると、姜維とぶつかる半刻ほどまえ、重たいものを運んでいて、すこし腰をいためたとのことだった。
 重たいものとは?と質問してみると、馬超はへらりと笑って"うす"と答える。
「うす…ぅ?」
 聞きなれない言葉に、姜維は反芻した。
「うす。じゃぱにーず、うす!」
 じつに楽しげな顔をして、馬超はそう叫んだ。

 じゃぱにーず、うす。
 つまり、臼である。ただの、日本でもちつきをする際に使用する臼のことだ。
 飛行機もどこでもドアもない時代だが、どこからか馬超はそれを入手したらしく、もちつきをするとのことだった。もちをつくのに一番必要なもち米も、やはりどこからか入手したのだという。
 姜維は場所も言葉もわからない"じゃぱにーず"という国の"もち"というものを想像するのにうんうんうなったが、ひとまず馬超のあとをついて行くことにした。馬超も、一緒にもちつきしよう、と歓迎してくれた。
「じゃ、そのまえに寝間着から着替えとけ」
 あ、そうだった。いまは寝間着のままだった。姜維はそのことを思い出し、そそくさと自室へもどって戸をとじる。
「いいじゃん、べつに」
 馬超はけろりとした顔で、たったいまとじられた戸をあけた。
「ひとが通るかもしれないじゃないですか!」
 恥かしさと怒りでまっかになった姜維が、もっともな反論をする。二日酔いに馬超の頭のわるさについての悩みが増し、頭痛がひどくなった。


 寝間着から着物に着替え、馬超のあとをついて行くと、中庭へ行き着いた。
 そこにはでーんとおおきな、木製の丸い穴があいたもの、つまり臼が置かれており、その中にはやはり木製の、おおきいとんかちのようなものがあった。
「このきねで、ぺったんぺったんするんだよ」
 杵。もちをつく道具である。それをつかむと、馬超は湯気の立ちのぼる臼の中をかるくついてみせた。
 なぜ湯気が立っているのかというと、お湯が入っているのだ。それはどうしてか、姜維が訊いてみると、もちをつくには臼と杵をあたためておかねばならないとのことだった。
「もち米は、もうかまどで蒸してあるから」
 臼のうしろから、蓋をしてあるおおきな容器がずるずると、馬超に押されて出てきた。ぱかりとその蓋があくと、中には"もち米"というらしい、つぶつぶした白いかたまりが入っていた。
「これをきねでつくと、こう、な。もちっとして、うまいんだって」
「へえ…」
 姜維は寒さで赤くなった鼻をすすりながらあいづちをうつ。
 味がまったく想像できないので、説明のみではいまいち感動できない。
「じゃあ、おれがつくから、姜維は水で手をぬらして、もちを返して」
 ふと横を見てみれば、入れ物に水が張ってある。こちらは湯気など立ちのぼっておらず、指先をひたしてみると痛みが走るほどのつめたさだった。
「えぇ、わたしがこれを返すんですか……」
 水のつめたさがいやだった。しぶってみるも、馬超は、これもうまいもちのためだ!、と言ってる。もちをひっくり返すことは絶対のようだった。
 しぶしぶ姜維は手の全体を水にひたす。あまりのつめたさに、目をぎゅうっとつむり、ぶるりと震えた。
「よし、じゃあまずもち米をこねていくから、待ってろ」
 臼に張ったお湯をそのへんに捨てると、臼の中に蒸したもち米をどすんと放り込んだ。そして杵をもつと、目つきが変わった。
 これからどのようなことをするのか、姜維は期待と不安にごくりとつばを飲み込んだが、たいしたアクションはなかった。
 まだつぶつぶのもち米を、杵でぐりぐりと押してこねるだけだ。なあんだ、と姜維が思っていると、はい、返す!、と馬超から言葉がとんだ。あわてて姜維はぬらした手を臼の中に入れ、臼にはりついたもち米を剥がし、返した。
 それをしばらく繰り返し、つぶつぶがほぼなくなると、ようやくもち米をつく工程へと入った。
「ようし、合いの手を入れたらすぐ返すんだぞ!」
「は、はい!」
 馬超は勢いよく振りかぶると、杵でどしーんと臼の中のもち米をついた。
「てぇいやぁーっ!」
 これが合いの手らしい。姜維はいそいで手を臼の中へ滑りこませ、もち米の底に手を入れて返す。
「へいほーっ!」
 ついでに姜維も合いの手を入れてみた。よりリズミカルになり、ふたりは楽しい合いの手とともに一心不乱にもちを作りつづけた。
「てぇいやぁーっ!」
「へてほーっ!」
 やがて、もち米をついたあとに杵を持ち上げると、びよぉん、ともち米が伸びるようになった。
 ここではじめておいしそうに感じられ、姜維は垂れかけたよだれを慌てて抑える。
「は、はやく食べたいですねえ馬超殿ーっ!」
「お、おう!おれもだ!」
 次第に、合いの手はたんなる会話へと変わっていった。


 つぶつぶが、完全になくなった。
 杵についたもち米はびろおおんと伸びている。完全にもちへ成り変ったようだ。
「よ、よし……できたぞ、もち!」
「や、やったあ……できましたね、もち!」
 ふたりの息はすっかり切れていた。はあはあと荒い息を吐き出していると、白くなる。そのまま無言で息を整えていると、雪がはらはらと降り始めた。
「わ、馬超殿、もちが冷えてしまいますよ!」
「まずいな。よし、部屋に運ぼう!」
 ふたりがかりで、うんせ、と臼を持ち上げた。そのまま、うんせうんせと回廊へもどり、ここから近い姜維の自室へと運ぶ。
「あ、ちょ、腰がやばいやばいやばい!」
「うわ、手を離さないでくださいってば!」
 とちゅう、馬超が腰をおさえて姜維が臼の大半を持たねばならないというハプニングもあったが、なんとか姜維の自室まで運びきった。  ふう、と安心するのもそこそこに、つきたてのもちがつめたくなるまえに、食さねば。
「……く、食うぞ?」
「……い、いただきましょう」
 なぜだか緊張した。つきたてのもちを目の前に、ふたりは固まる。
 びんぼう人がキャビアを目の前にして、食べるのをとまどっているかのような。
 しかし、いつまでもこうしているわけにもいかないので、馬超はおそるおそる臼の中にあるもちに手を伸ばし、わしっとつかんだ。そのままゆっくりと引っぱると、びよーん、と伸びる伸びる。
 しばらく伸びたところでぷつりと切れて、伸びてうすくなったもちの先端がたらりと落ちた。
 馬超はごくりとつばを飲み、意を決してひとくちそれを口にふくんだ。
「…どうですか?」
 馬超がもちもちとほっぺを動かしている様子を、姜維もまたごくりとつばを飲みこんで見守る。
 すこしして、ごくん、とのどがなった。
「ふつうに、うまい」
 もっと他に感想はないのだろうか。姜維はずっこけそうになるからだを抑え、それならばと自分も食べてみることにした。
 もちのかたまりから少量をちぎりとり、ぱくりと口に入れる。口に運びきれなかったもちは、口から引き離そうとすると、びよーん、とおもしろく伸びる。
「どーだ?」
 そう感想をもとめる馬超も、にどめのもちを口に運んでいる途中だった。感想はいたって平凡だったが、どうやら気に入ったらしい。いちどにそれほど口にいれたら、のどを詰まらせる、と言いたくなるほどに、馬超の頬はぱんぱんにふくれている。
 もちもちもちもちもちもちもち。
 しばらくのあいだ、ふたりがもちを食べる音が、しずかな部屋に響きわたった。そして、ごくり。
「あ、ふつうに、おいしい」
 姜維の感想も、馬超とおなじレベルのものだった。
 そうしてそのまま、ふたりは無言でもちをちぎっては食べ、ちぎっては食べ、を繰り返し、けっきょくふたりで臼の中に入っていたおおきなもちのかたまりをたいらげてしまった。
 このあと、腹がぱんぱんにふくたふたりは、腹の苦しさにうんうんとうなるはめになる。



2007/01/01