忠告に耳を貸す余裕は無く








鮮やかなまでの青黒い痣が、しなやかでだけど痛々しく皮膚が爛れている背中の上、更には腹部や手足にまで、まるで花びらをばら撒いたかのようにあり、そのかれのすがに、全身が粟立つのを覚えた。
しばらくは、いや、それはほんのわずかな一瞬の時間だったのだろうけど、ぼうっとその凄惨なからだを見ながら立ち尽くすことしか出来なくなっていた。やがて、喘ぎ声は突然に消えて、ハッと、今何をすべきなのか、しなければいけないのか、そのことに気がつく。
濡れたタイルの上へ歩を進め、勢いよく流されたままのシャワーを止める。遅れてやって来た馬岱から大きめのバスタオルを受け取り、そっと弱々しいからだを包む。
なるべく柔らかい素材で作られているものを馬岱は選んで渡してくれた。それでももしかしたら背中と擦れて痛むかもしれないと思ったが、表情を確認するとさっき以上の苦しそうな顔はして見せなかった。たぶん意識を失って痛みも感じないのだろう。
そのまま抱きかかえ、出来る限り振動が伝わらないように、それでも早く寝室へと連れていき、洗濯したばかりの清潔なシーツの上に乗せる。濡れた長い髪の毛の水分を、シーツがゆっくりと吸収してゆくのを見ながら、救急車を呼ぶか、どうするかを考えた。

「できたらちゃんと医者に見せてあげたほうがいいと思うけど」
痩せているその腕をそっと撫でながら、馬岱は肩のほうへ上がるにつれて増えていく痣を眉をひそめて眺めた。
「…そうだ、趙雲に頼んでみる。あいつ研修医だし…」
「呼ぶには失礼な時間だけどね、まあ緊急事態だししょうがないか。俺が電話するよ」
腕を撫でていない右手をポケットに潜りこませて携帯電話を取り出し、番号を押す。固いボタンを押す音が、静寂を助長させた。番号を押し終えた馬岱は、そっと腕から手を離し、くせのある黄緑色の髪の毛をかきあげると、ちゃんと見ててね、と小さく告げて、寝室を去った。
じきに奥のほうから馬岱のあまり聞きなれない敬語が聞こえ、それはすぐに止む。
「すぐ来るって。ちゃんと温めておけって言ってた」
「…おう。さんきゅ、な」
それからは腕を撫ぜるという行為もせず、ただふたりでじっと、苦しんでいるかれを助けてくれるであろう趙雲が来るのを待った。





「すまない、すこし遅くなった。様子はどうだ」
趙雲はすがたを見せるなり、早口で様子を聞く。さすが研修医、と思いながら、起きたことをすべて話した。
泊まらせてほしいと言われたのでとりあえず許可したこと、そしていきなり浴室で倒れたこと、息があまり整っていないこと。痣のことは聞かれたときに答えればいいということにして、それ以外のことを話す。
それを聞いた趙雲はすぐに家の中に入る。既に何度も来たことがあるので構造は全て把握していて、寝室に案内をすることなく辿り付く。 ベッドの上に寝かされているところをみたあと、小脇に抱えていた黒い鞄を床の上に置いて器具を取り出す。慣れた手付きですばやくからだを包んでいるバスタオルを、腰の辺りまではいだ。
その瞬間、器具をにぎった手が、ぴくりと動いたように見えた。
「…これは」
「よくわからないんです。俺達もさっき知ったことなので」
さらっと馬岱が話すと、趙雲は、そうか、と小さく言って、痣が点在する胸の上に器具の丸い銀色の部分をあてて、呼吸音を聞き始めた。あまり思わしくないのか、表情は険しい。

「たぶん、貧血だと思うんだけど」
はいだバスタオルをもどして、趙雲は静かに告げる。そして、栄養のあるものを食べさせるように、とも付け足した。そして、
「…それより、この痣は…?」
一度はなしていた姜維にふたたび視線をむけて聞く。なんと説明すればいいのだろう。いざ聞かれると、どもってしまう。
「わからないんです。俺たちもさっき知ったことですから」
「だよな、すまない」
黙っていた俺を見かねたのか、馬岱がわけを話し、趙雲は納得して謝った。いいえ、こちらこそすみません夜中に、と馬岱はやんわりと笑って言って、趙雲もかるく笑い返す。そのまま趙雲は鞄の中に器具をしまいはじめ、顔をこちらへむけていない状態で忠告をする。
「あまり、関らないほうがいい。やっかいなことに巻き込まれる」
「やっかいなんて、そんな」

やっかいという言葉がなぜだか癪に障り、思わず一歩足を踏み出して、怒鳴るかのように強く言い放つ。
「絶対なにかあるだろうから。虐待だとか、なんであれやっかいなことが」
そう言葉を残し、趙雲はするりと俺の横を抜けて玄関へと向かった。馬岱は後を追うように玄関へとむかい、ありがとうございました、と礼を言っている。


「やっかい」
その言葉が頭にいつまでも付きまとい、一晩中残ったままだった。








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