はじまりの日








目を覚ましていても常にあたりは暗い。それが日常だった。
くすんだ厚いカーテンを窓という窓すべてにひいて、陽のひかりと周囲の目を遮断していた。唯一の明りは小さくて古いテレビのひかりだけだ。同時に聞こえる派手な音楽が、この部屋ととても正反対でいつも嫌な気分になっていた。



まだ十になったばかりの頃、はじめて暴力というものを振るわれた。
いつもと同じ朝だった。パジャマのままのそのそと寝室を出て、母のいる台所にいき寝ぼけた声で「おはよう」と言った。そうすると母はやさしく笑って「おはよう」と言葉を返してくれる。いつもなら。
その日はとても怖い顔でこちらを睨みつけた。手にしていたおたまで鍋の中の沸騰したお湯をすくった母は、それを私にぴしゃりとかけた。反射的に避けようとしたけれど、ほんの少しが頬と腕をかすめた。
熱さと驚きで泣き叫ぶと、母はうるさいと怒鳴って発赤を起こしはじめた頬をはたいた。その衝撃で床に転げた私を、母は足で何度か蹴りつけた。苦しさで胃液をもどすと、狂ったように「きたない」と叫んでどこか別の部屋へ行ってしまった。
なにか悪いことをしたのだろうか。
幼かった私はうずくまりながらそう考えることしか出来ず、同時に明日になっていればまたもとにもどっているとを思っていた。

それがはじまりの日だったのだ。
次の日からも暴力は絶えずつづいた。不自然な痣がひどくなった頃にはすべての窓にカーテンをひいて人に見られないようにされた。もちろん外に出ることも許されなかった。外鍵をつけたひとつの部屋に閉じ込められて、毎日そこで膝を抱えていた。
不定期に与えられたごはんは日に日に杜撰なものになっていった。はじめはうす汚れたおぼんに乗せられてはいたが、ちゃんと茶碗にあたたかいごはんをよそってありおかずもあった。それが、気付けば冷えてかたくなったごはんに変わり、いつしかインスタントのものに変わって、はてには丸一日食べるものを与えられなかったこともあった。
さすがにそれには耐えられず、ある日こわごわ「もう少し食べるものがほしい」と願うと、母は安物の、それでも量のあるドックフードを買い与えてくれた。それを部屋のすみに置いて、すきな時に食べなと言われたのだった。
だんだんと、自分は犬のようになっていった。ほんとうに飼われていたようなものだと思う。
ほんとうに悔しくて、死のうと思った。けれどその勇気がなかった。自分でいのちを絶つことも出来なければ、母の暴力に抵抗することも出来ない。自分がいやで仕方がなかった。
そんな中で、唯一心が安らぐ場所があった。お風呂だ。
母はなぜか入浴だけは毎日するようにと強制していた。だるくて今日は入りたくないという時さえ浴室に投げ込まれたほどだった。どうしてかはわからなかったけれど、たぶん私をきたないものだと思っていたんだと思う。そういう、きたない嫌なものを見るような目で私を見ていた。
そしていつしか、自分自身きたないと思うようになった。通常ではありえない痣が点在する身体が、穢くていやだった。自然と入浴している時間は長くなり、一心不乱に身体を洗うようになった。
洗い終わったあとは背中の皮膚が爛れてひどく痛んだが、気持ちがすっきりとてもすっきりとした。少しはきたなさが薄れた、そんな気持ちになっていた。

そんな生活が長いこと続き、私は十五回目の誕生日を迎えた。
正直なところ、誕生日なんていうものは忘れていた。けれどその日は母から声をかけてきたのだ。いつものように、見知らぬ男と母の声が玄関から聞こえ、ちゅっと口を付けた音がしたあとに、母は私をとじこめている部屋の扉をあけた。
酒のにおいと、そこはかとなく生臭さを交えた母が、私にちいさな箱を手渡した。あけてごらん、と落ちついた声音でいわれた私は、心のどこかで以前の生活にもどれるのではないかと期待していた。
胸の高鳴りを押さえながら、私はゆっくりと渡された赤い箱をあけた。薄暗い部屋ではあったけれど、中身ははっきりと知ることが出来た。そこにはちいさな箱にみあう、ちいさなナイフが入っていた。
「十五になったわね。そろそろ死んでほしいものだわ」
母は私に死んでほしいと願った。
ならば望み通り死んでさしあげましょうと、私がいうと思ったのだろうか。
今まで一度も抵抗をしなかった(できなかった)私は、その日はじめて抵抗してみせた。わけのわからない狂った叫び声をあげた私は、箱の中から強引にナイフを取り出し、振りかぶって母に向けて投げた。興奮状態でうまく狙えるはずもなく、それは母の派手な色をした髪の毛を数本切り落として壁に刺さっただけだった。
驚いたのか、母は動きを止めた。私は相変わらず叫んだままで母を押し倒した。男に貢いでもらったのだろう、高そうなアクセサリーをじゃらじゃらつけた首を絞めようと、指先に力をこめた。
なんのために産んだんだよ、
おまえになんて産んでほしくなかった。
しね、死ね!
よく覚えていないけど、とにかく今までの不満をすべてぶちまけた気がする。指の力を強めながら、怒気のこもった声でひたすら叫んだはずだ。のどから血がでて、口の中が血の味で気持ちわるかったような気がする。本当に殺してやるつもりだった。
でも私は何を血迷ったのか。みにくいうめきごえをあげている母を見て怖気づいたのか、寸前のところで力を緩めてしまった。しまったと思った時にはすでに遅く、母は私を殴りつけると床を這うように台所へと消えた。
腹を殴られた私は、胃液を吐きながら涙を流した記憶がある。苦しくて涙が出たのではなく、あれだけ私を苦しめた母なのにどうして殺すことが出来なかったんだろうと、私の心の弱さが悔しくて泣いた。
こんなことをして、この先もっとひどいことをされるのではないかと、怖かった。胃液を吐き終えたあと、私は気を失った。


想像通り、あのあとから暴力はひどくなった。
首輪のようなものをつけられて、ほんの数歩くらいしか部屋の中を動けなくなった。食べ物はおもにドッグフードで、たまにレトルトのものが出れば涙が出そうなほど嬉しいというものだった。それでも一番耐えがたかったものはトイレだった。なにしろ自由がきかないので、トイレさえ犬が使うようなトイレトレーに変わった。
水分もろくに摂取することができないのに、その時には涙が止まらなかった。悔しい、悔しい!頭がおかしくなりそうになっていた。
それでも、ひたすら耐えて耐えて、ある時チャンスがやってきた。

いつものように顔を化粧で整えた母は、男とうでくみをして部屋を出て行った。
いつになったらこの生活は終わるのか。それとも、自分が死ぬまでこうなのだろうか。嫌になり暴れ出そうとしたとき、首輪をベッドの脚に繋いでいたぼろぼろの鎖が切れた。こんなチャンスは二度とないと、私は急いで立ち上がった。外から鍵をかけられた扉も、幼い頃とくらべれば少し力も増したので、何度も体当たりをするとばたんと倒れていった。
そうして私は抜け出した。
あの地獄のような部屋の扉を開けて、何年も出ることが許されなかった外に足をついた。はだしだって構わずに、どんどんどろをくっつけてただあの場所から出来るだけ遠いところを目指して走った。
しかしなくなってしまった体力はどうすることもできず、じきに走ることが出来なくなり、しかたなしに深夜で人もいない公園のブランコで休みをとった。息がぜえぜえと苦しかったけれど、もうあんなふうに監禁されていないんだと思うと、うれしくて叫びたくなった。
思い切り首輪をひっぱって首から外すと、ぶんと思い切り草むらになげてやった。もう自由なんだと涙を流しながら。
ただ、しばらくして冷静になってみると、これからどうすればいいのかがわからなくなり、急に心細くなった。夜が明ければ人も多くなり、はだしで薄汚い格好をしている自分は目立ってしまうだろうし、かといって隠れる場所はない。
そのうち私が逃げ出したことを知った母が探し回り、見つかったら連れ戻されるだろう。そうなればひどい仕打ちが待っていることは確実だった。
こわくて、私はその場から動けなくなった。
公園の真ん中にあるおおきな時計を見れば、針はじきに深夜の十二時になることを告げている。あと数時間で朝になってしまう、どうすれば?
ひたすら考えて、うつむいていたとき。

「こんな時間に一人で、危ないよ」

声がきこえた。やさしい声だった。








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